人との出会いについて

月日の流れは早いもので前回の投稿から1ヶ月も経ってしまいました。光陰矢の如し。

 

年末年始とバイトとテストと   てな感じで少しバタバタしていたのですが少しテストも落ち着いたので久々に何か書こう。

 

と思ったんだけど書こうと思うとあんまし思いつかないんだよね笑

 

でもまぁ最近よく感じるのは、ほんとに人生一期一会だなと。

小田和正風に言うと ”あの日あの時あの場所で君に会えなかったら”

Aimer風に言うと ”この蒼くて広い世界に無数に散らばった中から別々に二人選んだ糸をお互いたぐりよせあったんだ”

 

在り来りなテンプレのような文章の羅列みたいにはなるけれど、出会いってのは全て奇跡なわけで。

もしこの地球に、日本に、京都に生まれてなかったら?

1997年に生まれてなかったら?

もしあの時バスケをしてなかったら?

あの小学校、中学校、高校、大学に行ってなかったら?

ここでバイトしてなかったら?

 

、、、言い出せばキリがないんだけれど、意図したことでも意図しなかったことでも全てが今に繋がってるわけで。

 

父と母が出会ってなかったら?

祖父祖母が出会ってなかったら?

曽祖父曾祖母が、、、、

 

しかもドンピシャのあるタイミングで出会ってなかったら今がないわけで、一分一秒の奇跡の積み重ねで今があるのです。

 

しかもそれは僕だけに限らず、出会った全ての人がそうであるわけで。

そしてその人と出会うタイミングもまた、一分一秒の奇跡なのであって。

 

あまりにもくどくなるのでこのへんでやめとくけど笑

 

まぁ何が言いたいかというと、ここまで天文学的数字中の数字の奇跡の連続で出会ったならもはやそれは必然じゃない?ってこと。

 

きっと出会うべくして出会ったんだと思うんだよね。

そう考えるとやっぱり一つ一つの出会いを大切にしていきたいのであります。

 

そしてその一つ一つの出会いの中で、「あぁ、こいつと出会えてよかったな」と一人でも多くに思ってもらいたいのです。

 

そのために、日々成長してステキな人にならないとなって!

 

出会った人を少しでも笑顔に出来る、少しでも幸せにできる、そんなでっかくて余裕のある男になりたいのです。

 

イライラしなくなる方法

この前YouTubeを見てた時、オススメとして島田紳助さんのラジオでのある話が出てきてなんとなく見てみた。

そしたら、なんとも深い内容で単純にも「おお!!」となったので、今日はその事について書きます。

 

確か『イライラしなくなる方法』みたいなタイトルだった気がする、、、

 

そのラジオで話されていたのは人ってみんな生まれ変わるって話。

 

どこかの国で、家族みんなである街に出かけた時に3歳の息子が「この街のどこどこにはお父さんとお母さんがいて、、、」って話をし始めた。その時お父さん達の具体的な名前とかの話もして、その内容は明らかに3歳の息子が知っているようなことではなかった。だからその両親は気になって、息子が言った名前を調べてみたら実際にその街にその人たちが存在していて、なんと三年前に死んだ息子もいたそう。

 

まぁこの話が実話かどうかは分からないし、本当に生まれ変わるかどうかは別として、ここから先は考え方の話。

 

人は生まれ変わるらしい。ただ何に生まれ変わるかは分からない。人間かもしれないし犬かもしれないし木かもしれない。はたまたモノみたいな無生物かもしれない。

何に生まれ変わるかは、現世でどれだけ徳を詰んだかで決まるらしく、徳を積めばまた人間に生まれ変われる。

 

 

例えばすごくマナーの悪い人がいてイライラした時。心の中でこう思うといいらしい。「あ、この人は人間1回目なんだな。だからきっとまだ人間のルールがわからないんだ。仕方ない。」

 

こう思うと、すごく笑えてくるし優しくなれる。これ聞いてから実践してみたけど、驚くことにイラッとすることがあってもすぐ収まる。

 

人に対してイライラしないし、怒らないことで癇癪も起こさず徳を積めるっていう、まさに一石二鳥。

 

 

 

特にここから派生して、考えたことは特にないんだけど笑

今回は本当にただ僕がなるほどな!と思って、実際効果があった考え方の紹介。

 

 

来世も人間に生まれ変われるように徳を積んでいこーっと。

あ、でも空飛びたいから鳥でもいいなぁ、、、

 

エレベーター問題!パラダイムシフト。

 

昨日中之島のイルミネーションを見に行ったんだけれど、そこである光景を目にした。

スタッフのおそらくアルバイトであろう女性が「来年も開催するための寄付をお願いします!」と寒空の下、声高に叫んでいた。

けれど僕が見る限り、誰一人として寄付はしておらずその女性に近づきもしてなかった。そのスタッフの女性の存在を確実に認識してるにも関わらず。

 

そこで疑問が生まれた。

なんでこんなにみんながみんなスルーするのかなって。

自分なりに解決策を考えてみたけど中々思いつかない。

一番最初に思いついたのは、入場門を設けてそこで入場料を取っちゃえばいいなっていう単純な考え。そうしたらきっと寄付よりもお金が集まるだろうしイルミネーションもより豪華にできる。より豪華にできれば入場料があったとてまた人は惹き付けられて来るんじゃないかな。

 

けどこれじゃ寄付でお金が集まらないという事の解決にならない。

寄付という形を変えずに何かいい集め方はないかなあ。

 

こう考えた時に、以前授業で出てきたパラダイムシフトの話を思い出した。

"エレベーター問題"っていう例を挙げたたぶん有名な話だったんだけど、すごく面白くて印象に残ってる。

 

ある高層ホテルがあって、そこにはエレベーターが二台ある。毎朝、朝食を食べる人やチェックアウトする人、仕事に向かう人でエレベーターは大混雑で待ち時間にイライラするお客さんが大勢いた。

 

大まかに言うとこういう問題で、これを解決するにはどうする?っていう話。

 

ここで多くの人の答えとしては「エレベーターの台数を増やす」というものがでてきて、結局これは待ち時間をどう減らすかという観点で物事を考えている。

(これは政策系の授業だったので、予算の話とかも絡んでいてエレベーター増設はすごく費用も時間もかかってしまうから好ましくない。。)

 

結論この授業では「エレベーターホールに鏡を設置する」というパラダイムシフトの答えが挙げられてた。

鏡があれば身だしなみをチェックしたりできるので待ち時間を待ち時間として感じにくくなる。(その上鏡の設置は費用も時間も比較的かからない。)

考え方を変えて待ち時間を減らすのではなくて、待ち時間を待ち時間ではない何かに変えるという発想を持てれば簡単に済む話なのです。

 

この話すごく好き。

考え方を変えるだけで、(当たり前だけど)まるっきり別の答えが出る。

こういう発想は色々なところで大事なんだろうなぁ。

 

最初にあげた寄付の話。

これもパラダイムシフトを用いて何か解決策が出ないかなぁ。

 

何かに思いついた方いれば教えてください。

僕にない発想知りたいです。

馬鹿の時間の使い方

 

突然だけど時間って不思議だなぁ。

存在しているのかしていないのかよく分からない。

1.2年前に時間に関することをFacebookに書いたので一部抜粋。

 

"時間ってのは曖昧なもので。
日本は四季があるから環境の変化で時間の流れを感じることはできるけど、四季がない地域は1年中同じような環境なわけで、その地域にずっと住むってことを想像するとそれもまた違和感をかんじてしまう。
僕らは昼夜があるから、起きて寝てを繰り返すけど、宇宙のどこかに1日中昼(もしくは夜)の星があったら、そこの人は自分の感覚や所属するコミュニティに従って起きて寝てを繰り返す。
そうしたら人それぞれで時間のズレが生じて、年齢とか月日って概念や感覚が人によって変わるんだなーって。
時間は万人に平等に流れてる(概念的に)はずなのに、個人の時間の流れが変わる違和感。
そんな事考えてたら頭の中で時間は実存してるけど、本当は実存してないんじゃないかと不安になる。いや、実在してないのかもしれないけど。"

 

1.2年前はこんなこと考えてたのか。哲学にちょっとだけハマってた時だったのかな。

 

時間が実在するか実在しないかは置いといて、現状1日は24時間でそれは万人にとってそうであって。

どんな権威者でも賢い人でも馬鹿な人でも、1日は24時間でそこに不平等性はなくて、それをどう使うかは個人次第。

きっと賢い人は時間の使い方について考えているから、結果として馬鹿よりもはるかに効率的にかつ上手く時間を使ってるんだと思う。

だったら一分一秒無駄にはできない。

勉強をさぼっちゃったり、寝坊したり、、、そんなことをしてる場合じゃない。

寿命がある限り個人の時間にはリミットがあって決して無限のものじゃない。

 

特に何が言いたいかも、うまい結論も浮かばないけれど、、

 

基本的に無駄が嫌いな人間なので、無駄をなくして毎日有意義に使っていこう。

自分の意志次第でなんとでもなる問題。

 

馬鹿は馬鹿なりに天才よりも時間をうまく使わなくては。。。

(Facebookの抜粋ほとんど意味なかった。でもなんか今回ふと投稿してたことを思い出したからなつかしくなっちった。)

人の意見を聞くこと。

 

今日は、僕の現在考えていることを親友に話してきました。

その親友はプライベートでも部活のバスケでも相方として過ごしてきた気の合うやつで、真剣に話を聞いてくれました。

 

ざっくり、本当にざっくり言うと何か新しい価値だとか新しくて楽しい何かを作りたいと思っていて。

大きいことをするにはやっぱり一人では限界があって、次の段階にいくには一緒にしてくれる人が必要でその親友に話してみた次第です。

 

唐突な話にも関わらず、具体的に意見や考えたことを言ってくれて、自分の考えてることやしようとしてることに対して(いい意味で)色々と問いや問題が出てきて、短いながら本当に密な時間だった。

 

やっぱり人の意見を聞くのは大事。すごく刺激も受ける。

今の抽象的な段階ではまだまだ人に話せるレベルじゃないけれど、もう少し具体的なものにできたら色々な人の意見を仰ごう。

 

とりあえず期限が約2週間の課題が今日できたので、しばらく熟考したいと思います。

 

何をするにもまず計画

 

"計画"の大事さにふと気が付きました。

 

今まで学校や塾で計画することは大事だと言われることは多かったし、理解していたけれど最近余計に思うようになった。

 

今僕は色々としたいことがあって、それについて日々考えているんだけれど、なかなか考えがまとまらない。

そんな時に計画を立ててないからだと気づいた。

当たり前のことなんだけれど(笑)

 

そりゃそうだ。

したいことばかり考えてその過程について考えなければ上手くいくわけがない。

富士山に登りたいと思って、山頂ばかり見つめて歩いていたら、足元の石に気が付かずに転んでしまう。

 

それは何をするにおいても同じことで。

やっぱり何かしたいことや目標を目指すことにおいて、しなければいけないことを挙げて、優先順位を自分の中で決めてから実行しなければならない。

もちろん、勢いというのが大事な場面もあるしそれは決して否定しないけれど!

でも、やっぱり 富士山を登るためには、まず情報収集してウェアを買って、登る時にも一歩一歩踏みしめていかなければきっと最後まで登りきることはできない。(ガチンコの山登りしたことないので、あくまでも例えの話。)

 

だから、とりあえずはしなければならないことを項目化して一つ一つ達成していこうと思います。

 

 

一進一退しながらも、絶対に自分の中の富士山登りきってやる。

お金=信用 という話。

以前、西野亮廣さんの熱烈なファンである友達に直筆サイン入りの『えんとつまちのプペル』という絵本を誕生日にプレゼントしてもらいました。

その友達の影響と薦めがあったこと、最近西野さんの二冊目のビジネス本である『革命のファンファーレ』が出版されたこと、などがきっかけで『魔法のコンパス』という西野さんの1冊目のビジネス本を拝読しました。

 

本の中にこんなことが書かれていました。

「お金は信用の一部を数値化したもの」

 

日常生活で基盤の一つであるお金であるけれど、実際"お金とはなにか"と疑問を持ったり考えたことのある人は少ないじゃないでしょうか。僕も考えたこともなかった。

だから、お金=信用という考え方を目にしてとても驚きました。自分では思いつかないであろう発想。。

 

確かに同じ商品を買うにしても友人から買うのと、ネットで知らない誰かから買うのとでは違う。

なんとなくネットで買う方が敬遠する。それは、やっぱり友人への信用と知らない誰かへの信用の差に他ならない。

勿論、商品が手の届くところにあるかないかだとかの条件もあるだろうけど。

 

こう聞くと 当たり前のことだ というように感じるけれど、いざ自分一人で"お金とはなにか"と考えた際にはなかなか出てこない。

 

当たり前のことを当たり前で済まさずに、疑問に思って考えて自分なりの結論を出してみるって意外と大事なことなのかもしれないと思いました。

当たり前のことってたくさんあるから、たくさんの考え方も生まれそう。

 

今回は一部について書いたけれど、他にもたくさん影響を受けたのでそれについてもまた書ければなと思います。

 

なんだか考え方とか思ったことじゃなくて、ちょっと本紹介みたいになっちゃいましたが、、、(笑)

でも、ほんとに面白い本なのでオススメです。是非よろしければ読んでみてください。

 

(ほんとに本紹介みたいになっちゃった。。また、授業の事とか日常で思ったこととか書いていこう。。)