馬鹿の時間の使い方
突然だけど時間って不思議だなぁ。
存在しているのかしていないのかよく分からない。
1.2年前に時間に関することをFacebookに書いたので一部抜粋。
"時間ってのは曖昧なもので。
日本は四季があるから環境の変化で時間の流れを感じることはできるけど、四季がない地域は1年中同じような環境なわけで、その地域にずっと住むってことを想像するとそれもまた違和感をかんじてしまう。
僕らは昼夜があるから、起きて寝てを繰り返すけど、宇宙のどこかに1日中昼(もしくは夜)の星があったら、そこの人は自分の感覚や所属するコミュニティに従って起きて寝てを繰り返す。
そうしたら人それぞれで時間のズレが生じて、年齢とか月日って概念や感覚が人によって変わるんだなーって。
時間は万人に平等に流れてる(概念的に)はずなのに、個人の時間の流れが変わる違和感。
そんな事考えてたら頭の中で時間は実存してるけど、本当は実存してないんじゃないかと不安になる。いや、実在してないのかもしれないけど。"
1.2年前はこんなこと考えてたのか。哲学にちょっとだけハマってた時だったのかな。
時間が実在するか実在しないかは置いといて、現状1日は24時間でそれは万人にとってそうであって。
どんな権威者でも賢い人でも馬鹿な人でも、1日は24時間でそこに不平等性はなくて、それをどう使うかは個人次第。
きっと賢い人は時間の使い方について考えているから、結果として馬鹿よりもはるかに効率的にかつ上手く時間を使ってるんだと思う。
だったら一分一秒無駄にはできない。
勉強をさぼっちゃったり、寝坊したり、、、そんなことをしてる場合じゃない。
寿命がある限り個人の時間にはリミットがあって決して無限のものじゃない。
特に何が言いたいかも、うまい結論も浮かばないけれど、、
基本的に無駄が嫌いな人間なので、無駄をなくして毎日有意義に使っていこう。
自分の意志次第でなんとでもなる問題。
馬鹿は馬鹿なりに天才よりも時間をうまく使わなくては。。。
(Facebookの抜粋ほとんど意味なかった。でもなんか今回ふと投稿してたことを思い出したからなつかしくなっちった。)